急性期から慢性期へ 2008 7 27

 アメリカの金融危機は、
急性期から慢性期へと移行したと考えていますが、
ここで、安心してはいけないのです。
 急性期においては、症状が目立ちますので、
多くの人が注目し、治療に当たりますが、
慢性期こそ、注意する必要があるのです。
 慢性期になると、症状が安定しますので、
医者も関心が低下し、本人も油断しますが、
慢性期こそ、ADL(activities of daily living)を低下させ、
QOL(quality of life)も低下させる可能性があるのです。
同時に、体力も奪っていく可能性があるのです。
アメリカ経済も、慢性期によって、そうなっていくでしょう。
 慢性期は、誰もが油断するのです。
医者も、患者も、家族も、そうなるのです。
いや、一種の「あきらめ」かもしれません。
 急性期においては、
医者も、患者も、家族も、病気との戦いに夢中となりますが、
慢性期においては、長期にわたる闘病生活に、
一種の「あきらめ」が発生するのかもしれません。

不良債権処理 2008 3 1
 最近は、アメリカで、日本のバブル崩壊後について、
つまり「失われた10年」についての議論が盛んなようです。
「自分たちも、そうなるのではないか」という不安があるのでしょう。
 今でも、よく言われることは、
「日本は、不良債権処理が遅れた。もたもたしていた。
それから、不良債権の額が小出しで、後になってから次から次へと出てきた。
要するに、損失確定をためらっていただけだ」と。
 しかし、ここで少し言い訳をさせてほしいのです。
バブル崩壊後、ノンバンクの後始末は、そんなに遅れることなく、
比較的、早く処理できたのです。
では、どうして、「失われた10年」になってしまったのか?
 それは、バブル崩壊後、不景気とデフレの進行で、
正常債権が、次々と、不良債権になっていったのです。
正確に言えば、正常債権が要注意債権へ、その要注意債権が不良債権へと、
ずるずると、底なし沼のように転落して行ったのです。
 要するに、ノンバンクの破綻は、単なる入り口に過ぎなかったのです。
つまり、ノンバンクの破綻は、単に導火線に過ぎなかったと言えるでしょう。

















































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